心について 

人間の心には、純粋さというものが必要である。生まれたばかりの子供には、この純粋さが漲っており、この純粋さによって、希望や将来を明るく見る事ができる。しかし、この心の中に不純なものが侵入すると、希望を持てなくなり、将来にも明るい兆しが無くなってくる。
そのような魂にも、ある時期を迎えると、浮かばれていない先祖霊たちが侵入してくる。すると、魂が濁っていき、虚しい、悲しい、やる気がない、絶望、などの虚無感と変貌する。この変貌によって、マイナスの波動が心だけではなく、体全体に影響し始める。体全体にマイナスがやってくると、マイナスの場所に体が誘われてゆく。この状態で、心霊スポットなどに行くと、浮遊霊と波動が合致し、自然に自殺をしたくなるようになってゆく。背後の先祖霊が怒りの心(波動)をもっていると、刀や刃物を持って大暴れする。世の殺傷事件は、この類のものが起こしている。背後の先祖霊が遊び心を持っていると、ギャンブル漬けになってしまう。
この心の濁りを払拭させるために、霊感のあるものは滝に打たれたり、瞑想したり、ヨガを学んでみたりと試行錯誤するが、どれも解決の答えにはなっていない。本人は瞑想したり滝に打たれたりした瞬間が心地よいので継続するが、それは一時的な心の解放に過ぎないのである。どんな状態でも、現実には振り回される事があっても、食事をしたり就寝時は平静な心が宿れば最高なのである。この状態になるのは、先祖の供養すなわち浄霊が欠かせない。もし、先祖供養をしても、心の状態が何も変わらないのであれば、それは先祖の供養(浄霊)がまだまだ少なすぎるか、あるいは偽物に騙されて全く出来ていなかったかのどちらかである。
しかし、こちらでの供養の根本は、それを感じるまでに至るべき心の修練と、心ある先祖供養への取り組み方にも大きな差が生じている。心地よい心の満足感を得る事が、人間の地位や名誉、金銭を得るよりも遥かに大きな生き甲斐となるであろう。

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