霊が見える

『 おはようございます。
昨日は新型コロナウィルスの件で家族会議をしたりしていたので、コラムのお礼のメールを送信するのを忘れてしまいました。先日は、星椎先生のコラムに私の感想を取り上げてくださり、コメントもいただきまして、誠にありがとうございました。
私からしてみれば、霊が見えればすぐ浄霊が理解できて続きそうな気がしますが、必ずしもそうではないことが本当に不思議で不思議で仕方がありません。私などが霊の世界のすべてを理解するには一生かかっても到底不可能な事だと思いますが、霊を見たい欲求に惑わされずに、これからもコツコツと浄霊(先祖供養)を進めていく事が一番重要な事だと心に決めて、これからも日々精進したいと思います。星椎先生には、いつもご厚意をいただきまして、本当にありがとうございます。27日の浄霊は、どうかよろしくお願い致します。 』

  

星椎水精先生のコメント

 
霊が見えることと浄霊とは、あまり関係しないと私は思う。霊が見えても、浄霊しない人の方が圧倒的に多い。霊の世界と自分とは関わりがないと思っている人が殆どである。しかし、一旦病気をすると、「死について」考えるようになる。だが、元気を取り戻すと、再び死について考えなくなる。この繰り返しが、いつの間にか、老衰に向かい、死に大接近する。そして、あっという間に、霊となる。心ある人は、そこに形がなくても、存在を意識する。つまり、亡くなった父親、母親、祖母祖父、と気になり、霊そのものを意識し始める。
目に見えぬ会話は、肉体を意識しなくなった時、初めて気持ちの通じ合う状況となり、映像も淡く見え始める。ただ、最初から見える人は、守りとなったオーラの薄い人も多く、他の霊から、簡単に憑依され、早死にする人も多い。
霊が見えることは、利点も多いが、災いを招くことも多い。要は、心が通じ合う、それが、先祖たちの望むものであり、その過程に浄霊がある。