欺瞞

連日、オリンピック関連の話題で盛り上がっているが、これほど欺瞞(ぎまん)に満ちたオリンピックはないだろう。そもそも、最初は復興五輪という位置付けだったにもかかわらず、アベノミクスの第4の矢に変わり、次には人類がコロナに打ち勝った証といい、そして今は安心、安全の五輪と言っている。このように言うことがコロコロ変わる背景には、国民を欺くやましさが隠れている。
オリンピックを平和の祭典と言っているが、なぜスポーツが平和と結びつくといえるのか。そもそもオリンピックは、奴隷の兵士たちを競わせていたものである。もともとの競技であるやり投げや砲丸投げなどを見てもわかるように、戦いが背景にあり、平和とは無縁である。現在でも、「勝て、負けるな」と選手たちを競わせ、勝つか負けるか、メダルをいくつ獲ったかで騒いでいる。冷静に見れば、平和の祭典という矛盾に気づくだろう。
さらに、東京ではまた感染者が増えており、5000人に届きそうな勢いである。安心、安全の五輪といいながら、五輪関係者でも感染者が何人も出ており、安心とは決して言えない状況にある。先日の発表では、1日に24人の感染者が確認されたとされている。関係者の数が約5万人ほどおり、そのうちの感染者が24人ということは、約0,0005%と言う比率になる。対して1400万人の東京都民うち、最近まで感染者が2000人を超すかどうかで騒いでいたが、これは0,00014%となり、実は五輪関係者たちの方が3倍以上も多いことになる。東京都民に換算すれば、1日7000人の感染ということになり、このような数字をみれば、決して開催できるようなレベルではないことが分かるはずである。これの一体どこが安心で、安全だと言えるのだろうか。数字のマジックで少ないように見せているだけで、実際はすごい数字であることが分かるだろう。
オリンピックが始まってから、今までPCR検査陽性者を感染者と言っていたのが、ここにきてまた陽性者という言葉を使っている。感染者と陽性者では、受け取る側の印象がガラッと変わるが、このような騙しのテクニックや心理誘導が随所に使われている。
利権のためにオリンピックを強行開催し、うまい汁だけ吸い、そのツケを払わされるのは、我々国民である。政治に関心を持ち、いい加減にこの古い体質を変える時期にきている。