同級生

『 先日長い付き合いの方から連絡がありました。
お互いの娘が同じ年で、偶然にも大学も同じと言う事もあり、何かとお互いの娘の話題で盛り上がったりしている方です。
うちの娘が大学のゼミの大会で表彰され、ホームページに掲載されたとか、学長奨励賞を貰える事などを話したりとか、4月からは4年生なので、就職活動の話にもなりました。
うちの娘は積極的にインターンや就職説明会にも参加していて、最終面接まで残っている企業もある等話したら、「羨ましいです~」と言うので、就職活動をどうしているのか尋ねました。
その方の娘さんは、今年は就活をしないと言い出しているそうです。
幼少期からのお友達が何人も高校中退・大学中退をしているせいか、ニートでも生きていけるなどと、甘い考えを持っているのですよ。
コロナウイルスさえなければ、もう少し違ったかもしれません。と言っていました。
その子は、入学当時、考古学に興味があると発掘調査に参加したり積極的で、「うちの子みたいに大学に通えればいいという子より夢があっていいな~、うちの子も夢を持って頑張ってほしいな~」と思っていたのですが、3年たった今、就職活動を頑張っている子と、ニートでもいいと言っている子。
これほどの差が出来るものかと考えさせられました。
娘に、「なぜそんなに頑張るのか?」と聞いてみました。
「なぜかわからないけど、なんでかやらなくちゃいけないって思ってしまうんだよね~」と言っていました。
長々となってしまいましたが、これからも先祖の事を頑張って行きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。』

  

星椎水精先生のコメント

今回の話は、こちらで先祖供養(浄霊)をしている家と、そうでない家との末裔の差がわかりやすく表現されている。浄霊されていない家というのは、先祖が荒れており、霊障がモヤのように末裔にまとわりついているような状態で、文字通り前が見えない。そのため、「ニートでもいい」などというセリフに反映される。今は良くても、ニートの末路は悲惨そのものである。仮に数年もニートを続ければ、社会復帰するのはかなり困難となり、将来がなくなる。そして、いずれ魂の消滅となる。
それに比べ、浄霊を頑張っている家庭というのは、先祖も落ち着き、成仏した先祖たちが末裔の応援に回ってくれる。末裔の前向きな言葉も、先祖が末裔の進むべき道を後押ししてくれているための言葉となる。アトランティス神の浄霊が、お互いを助けるものだという意味が、よくわかる体験談である。