7日目

7ベルヴェデーレ宮殿 最終日は、ウィーンに戻り、ベルヴェデーレ宮殿観光となった。この宮殿は、ベルサイユ宮殿そっくりの中庭と小規模な宮殿内にある画家クリムトの絵を鑑賞することだった。クリムトが精神異常を来す前の作品「接吻(せっぷん)」を地元ガイドは非常に讃えていたが、称賛するほどの作品ではなかった。宮廷画家独自の生き方で、全ての作品を良作として見なすのは、非常に危険な鑑賞と言える。
7オペラ座 それを終えると、ウィーンの街中散策と軽い食事の出来るレストランに向かった。ハンガリーやチェコに比べると、ウィーンは博多の街を少し大きくした都会のセンスを感じる。ただ、オペラ座などの芸術性は、日本とは比べ物にならない伝統の高さをそこはかと味わうことが出来る。人種の坩堝(るつぼ)なのだが、店の店員たちは、比較的日本人に寛容な印象を受ける。日本語で対応する店員も多いことから、日本人の入りやすい店が多い。
最後に、終始案内してくれたガイドは、経験を積み努力家の中年手前の未婚の女性だが、少し太り気味で非常に短気だった。食べ物が偏っていて、大きなボトルのコカ・コーラをすぐに飲み干してしまう。食事は、甘党で食べる速度も速い。膝関節は、若い頃にバレーボールで関節が損傷していて、上り坂は非常に苦痛らしい。猪突猛進型で、ガイドの仕事を始めてから、ベッドで寝るより、ソファーで2,3時間寝ることが多いと言う。
傍から見ていると、寿命を縮めているなと誰もが思うだろう。そこで、名前の波動も悪いことなど、ゆっくり観察してみると、以前(過去世)は、このオーストリアのウィーンに住んでいた男性のようだった。当時は、生活に苦しみ、食べ物に飢えていた。そこで、クリムトのモデルになったりと、その場限りの生活だった。芸術には非常に関心があり、特にチェコの作曲家スメタナとの交流も多少あったと思われる。チェコのドナウ川沿いにあるスメタナ博物館の低い椅子を「持って帰りたい」と強く要望していたのは、スメタナの霊が、彼女を放したくなかったからでもあったようだ。
彼女は晩年のスメタナを知らず、飢えで早死にし、その飢えの反発が今世の餓鬼のように食べる仕草となっていた。心がとてもきれいで、不純なものにはものすごい敵愾心(てきがいしん)を燃やす。そのような日本人は、殆ど存在しないので、チェコやウィーンあたりの人だったのは、間違いないだろう。そう考えながら、ウィーンの街を再び見下ろす飛行機の中で、何度も何度もこの旅行を反芻(はんすう)していた。