モンゴル

広大な草原を見るためにモンゴルに出かけた。普通の人は、行かない場所でもある。
成田から4時間半で到着する首都ウランバートルは、日本との時差がなかった。到着したその日はホテルで寝るだけだったが、飛行機からモンゴルの地を見た時は、さすがに縦横に走る道路と草原しかないのかなと考えた。
朝の混雑ぶりは、東南アジアより幾分静かだった。少し郊外を走ると、やはり草原が地平線まで続き、周囲は馬や羊、ラクダ、牛の群れが草原を自由に歩いていた。時折、道路に彼らの群れが横切る。退屈な時間を彼らによって楽しませてくれる。モンゴル人は、彼らの行為を動物の信号と言っている。
翌日は、モンゴル人独特の家屋であるゲルに泊まった。気温は昼が20度で夜は10度。この温度差で、慣れない日本人の大半は、窯の火を要求する。
窯の火を入れた瞬間、ゲルの中はもはやサウナ状態となる。それに消えないために木片から石炭を追加した時、私はあまりに熱く眠れそうになかったので、水を入れかまどの火を消してしまった。睡眠をとれないまま、翌日に草原の写真を撮った後、チンギス・ハーンの都カラコルムへ行った。世界最大の国を作ったチンギス・ハーンは、成仏してはいなかった。
ガイドの説明よりも、腰から肩にかけて非常に重いものを感じた。彼ら一族の憑依を受けてしまった。再びゲルに帰った時は、おなかが空き、羊料理を食べた。すると、疲れのために一気に眠ってしまった。疲れと未消化の食事、水にあたって、翌朝の4時から目が覚め、下痢と嘔吐を5、6回繰り返した。ハーンの憑依も強烈だった。
その日は、市内に戻っての観光を取りやめ、ホテルに直行を申し出た。車の中では、シートを倒し寝ていた。長い長い道のりは、何時間も景色が変わることがない草原ばかりだった。途中のレストランで、トイレに行ったが、そこは薄いベニヤでできた小屋だった。汚れた薄い木の扉を開けると、30センチくらいの踏み板が大きく深い穴の上に2枚平行に載せただけのものだった。こんなに怖い思いをしてトイレに入ったのは初めてで、下からそこで亡くなった人の悲鳴が再三聞こえた。これが、モンゴルの一般的なトイレなのだった。
薄ぼんやりとした状態の車の中で、ガイドにどうしても尋ねてみたいことがあったので聞いてみた。
「ロシアでは、核の廃棄物をどこに捨てているのだろうか」
すると、「ロシア人の特徴は、土の中に捨てることはない。おそらく海洋投棄でしょう。ちなみに北方領土あたりでしょう」
私は、そのことをどうしても確認したかったのである。何故、ロシアがあのように北方領土を軍事化しようとしているのかを理解しなければならない。北海道の海の食材をおいしいと食べると、必ずガンになる。台風が今季、特に北海道に多かったのは、ロシアの行動に怒りを露わにした日本の神々の示威でもあった。

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