4日目


4日目プラハ
チェコの首都プラハに着いた。中世のボヘミア王国には、世界最大の居城がある。その中でも、100mの尖塔を持つ聖ヴィート大聖堂は、街を見下ろす丘の頂にある。早朝の8時にホテルを出発したが、9時に到着するまでには、検閲門は観光客でごった返していた。その混雑を利用して、スリ3人組がいた。彼らは男性で、40過ぎの大柄な小太りという感じで、目元が暗く、3人でスマホを使いながら、巧妙に近寄っていた。3人の内、誰かが常にいたようで、私の黒いバッグがターゲットにされてもいた。
彼らを見ると、遠い昔、商売をしそこなった金持ちへの強い恨みを持った市民だったようだ。今世は、観光に来る不特定多数の人たちへの窃盗を目的で生まれてきている。しかし、来世では、動物へと落とされる運命であり、あと4、5年すれば、大きな病気が待ってもいる。悲しい運命である。
居城の混雑を過ぎて、街へ降りると、街への通路としてカレル橋がある。カレル橋から見る、川の風景は、非常に美しい。しかし、その橋の両サイドは、物乞いが、座ってお辞儀をしたままの状態で1日通しているようだ。その数が10人くらい。汚れた犬をそばに置くものまでいた。観光地としては相応しくない光景だった。カレル橋を渡ると、巨大な観光地がそこにあった。あらゆる人種が、歩道を所狭しと歩いている。午前中なのに、日差しが強く、気温も30度近かった。暑い上に車と電車、人、人、人だった。白人、黒人、インド人、中国人、韓国人、日本人。
この観光都市は、フランスのパリと変わらなかった。絶えず救急車のサイレンが鳴り、警察のパトカーが違反車を追いかけていた。
芸術の町としても有名で、モーツァルト自身の指揮で有名な劇場やミュシャ美術館、それに作曲家スメタナの博物館がある。大きな劇場では、常に演奏会や舞台が毎日行われていた。
やはり何と言っても我々の世代では、「プラハの春」を忘れることが出来ない。東欧の民主化の嵐は、ここプラハを中心に行われ、旧ソ連から脱却するための民間の戦いは、激しく行われた。その行動は、日本でいえば、明治維新に匹敵する。その英雄は、居城の外れの広場で、大きな顔写真で並べられ、英雄として讃えられていた。その勇気ある行動が、この街の活気に結びついているのだと理解できた。彼らは、日本の政治家よりも遥かに民主主義というものを把握していた。スメタナの名曲「わが祖国」そのもので、力強い市民の街、そんな印象だった。