2日目


ウィーンの街を散策することになったが、カナダやギリシャのようなワクワク感はもうなかった。ヨーロッパの街を普通に歩く、そんな感じだった。
音楽家モーツァルトの出身地だけに、オペラハウスなどで音楽を聴くツアーを考えれば良かったのだが、それをあえてしなかったのを後悔した。
ウィーン2日目
13世紀から20世紀のハプスブルグ家の居城であった王宮を見学するのは、非常に意味のあることだった。マリアテレジアが君臨する王宮(シェーンブルン宮殿)は、大きな歴史の流れを理解する上で大切なことでもある。フランスの王宮を模倣した感があるが、どこか殺伐とした幽霊屋敷のような執念深さと魂の重さを感じた。ただ観光客が、韓国人や中国人の無知な人たちが多いのは、このような意味のある歴史を感じるには、程遠い気がした。彼らが何のために観光しているのかは、理解できない種族のようでもあった。
そこで、昼過ぎからハプスブルグ家の至宝を集めた美術史博物館へ行った。ベルサイユ宮殿とは比較にならないほどの金銀ダイヤモンドの芸術品が展示されていた。そのあまりの美しさと芸術性の高さに当時のヨーロッパの王家は、さぞど肝を抜かれたに違いない。それは、どこの王宮へ行っても見たことがなかった。ウィーン2日目美術史
この芸術性の高さを権力の象徴として、マリアテレジアは周囲の国と戦ったのだと理解した。しかし、報われなかった当時の王家の者たちは、未だに成仏せずに、当時の服装のままで往来しているのは、滑稽といえば滑稽でもあった。当時の兵隊が、欲もなく生まれ変わったのが韓国人や中国人であるのが理解出来た時、妙に納得した。
金やダイヤモンドの至宝のそばに、王室や番人たちの霊が未だに見張っているのは、不思議な光景だった。この王宮で芸術家としてもて囃(はや)されたモーツワルトは、早死にしたが、幸せでもあったのだろう。彼を描いた絵画や銅像は、神経質でノイローゼの感じは払拭出来なかった。ライン川を下って遊びに来たゲーテは、「イタリア紀行」などの紀行文を書くに及んで、このハプスブルグ家の風景は欠かすことの出来ない印象的な場所だっただろう。私が当時の作家だったら、必ずここへは立ち寄っている。