魂の純度

『 4/6の星椎先生のコラム、そして4/8の児玉様のブログ。 私も時折、心の奥底で打算的な考えを起こしていないだろうかと反省し考えさせられることがあります。 過去世からの多くのカルマを背負った自分が現世に生を受けて、今日まで生かされている意味。その自分にご先祖様が一縷の望みを託して助けを待っておられること。 そして今日までに浄霊して頂けました龍神様、ご先祖様、過去から現在までご縁のありました皆様方、我が家のペットたちが私を応援し心の支えとなって後押しして下さっていること。 そのことに立ち返り、これからも無欲でご先祖様を助け続けなくてはと思い直しました。 』 人間は数十年も生きていれば、俗世間にまみれて魂の純度が生まれたばかりの時より遥かに劣ってしまう。それでもいろいろな障害物に出会っても、幼き頃の純粋性を貫く人もいる。「試される」、それが今世の修業である。何も滝に打たれることが修業ではない。 この純粋性は、亡くなって魂だけになった先祖霊に通じるのである。ところが、少しでも気持ちの中に打算が入ってしまえば、霊には全く届かなくなってしまう。 せっかく末裔が浄霊をしてあげても、先祖には「誰が浄霊してくれたのか」が分からない。だから、自分の病気を治すための浄霊は、先祖が霊界へ行くだけで、何も結果が出ないのである。こちらで浄霊を要請し、途中で止めてしまう人の多くは、自分に結果が出ないことによる。 先祖と向かい合う時は、いかに純粋な気持ちで接しなければならないかを理解すると良い。