高瀬舟

久しぶりに森鴎外の作品「高瀬舟」を見た。鴎外の小説は、若い頃には堅苦しさを感じとても読めなかった。小学4年生の時「安寿と厨子王」という作品で、山椒大夫の役をしたことがある。感動的な劇だったが、小学校の演劇会で自分の役を終えると、カーテンの隙間から、見に来ていた母親たちが涙を流していたのを思い出す。
今回は、短い映画だったが、寛いで見ることができた。
それは、江戸時代の物語で、京都の人工的に作られた運河である高瀬川にスポットが当てられた。流罪人を運ぶ船を俗に高瀬舟と言ったらしく、その流罪人と船頭、監視役の武士の話が中心だった。
流罪人の話は、幼いころから兄弟で苦労しながら生活してきたことを話し始め、大きくなってもその兄と生活するのだが、屋根瓦の仕事場で兄が屋根から落ちてしまい、兄は骨折して生活できなくなってしまった。その兄は、弟にこれ以上迷惑かけまいと、剃刀で自分の首を切る。しかし、剃刀の刃が首に食い込んでしまい、抜き取れなかった。そこで、弟に頼みその刃を抜いてしまう。弟は罪人となり、島流しとなる。満足に食の出来なかった生活より、島流しの方が幸せという、話である。
ここには刑に対する鴎外の冷静な目がある。そして、幸福感の違いを述べていた。
元々鴎外は、山口県の津和野の生まれで、軍医として北九州の小倉に赴任されていた。小倉で仕事をしていた時は、鴎外の旧居に何度も足を運んだことがある。どこか私の父にも似たところがあり親近感があった。松本清張も「或る小倉日記伝」という小説を書いて、芥川賞を受賞した。小倉日記というのは、鴎外が小倉に軍医として在任した4年間の日記である。その日記の紛失を巡って書いた小説である。
鴎外は、未だに成仏していないが、現代にも通じる様々な出来事には危惧していると、作品を通して暗に私に告げていた。

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