韓国

日本人は、歴史について、隣国である韓国を殆ど知らない。韓国も日本について殆ど知らない。韓国の歴史映画については、頻繁にテレビ放送している割には、日本人は見ることがなく在日韓国人のみの人気となっている。
青春時代に、私は五木寛之の作品を読んで、その中に韓国人の本質を述べたくだりがあった。それは、韓国が大陸と日本を結ぶ廊下だと言った。
そして、最近の日本と韓国の政治的な争いを見て、福沢諭吉の「韓国人を信用するな」というフレーズが、バラエティ番組でも取り上げられてもいる。
今は経済戦争だが、ひと昔前は、韓国と日本は戦争をしていたのは事実である。そういった先祖の戦いが現代に復活しそうな状況でもある。そこで、韓国の歴史をかいつまんでみた。

『 紀元前あたりから燕という独立国を中国の秦に滅ぼされ衛氏朝鮮を漢に支配された。
BC37年に中国の遼寧省付近に伝説の人物朱蒙(しゅもう)が高句麗を建国した。391年に即位した広開土王(好太王)は朝鮮半島を領土とした。半島南部では、3世紀頃に三韓(馬韓、辰韓、弁韓)と呼ばれる国が独立した。4世紀中には馬韓を百済(くだら)が、辰韓を新羅(しらぎ)が統一して、朝鮮半島の三国時代が始まった。
この頃から、日本が弁韓に進出し、任那(みまな:伽耶とも言う)を支配した。
先祖からの戦いの火ぶたは、この頃から始まっている。
663年に新羅が唐と結託、百済は倭国軍(中大兄皇子)と結託し、白村江の戦いが起こり倭国軍は新羅に負けた。その後、倭国は日本と改名し、唐との交流が始まった。
その後、朝鮮半島は分裂状態となり、918年に後高句麗の将軍王建が高麗をたて、朝鮮半島を統一した。やがて、高麗と戦いを挑んだ女真が台頭し金を建国した。
1259年、都を江華島に移していた高麗はモンゴル帝国に服属し、元の属国となった。二度の日本侵攻(元寇の乱)の前線基地となり、多大な負担を強いられた。
元寇と言っても、中身は高麗の戦闘員が大勢いた。日本と韓国の争いでもあった。この頃から、日本の倭寇が出没し、明の時代になると、倭寇や元との戦いで功績をあげた李成桂が立ち上がり、1392年に李氏朝鮮を建てた。そして、国号を朝鮮とした。
1592年、中国征服を狙う豊臣秀吉は、朝鮮に明征討で釜山に上陸した(文禄の役)。朝鮮軍は歴戦の日本軍に各地で敗れ、数ヶ月で朝鮮全土が制圧された。韓国人が、秀吉の名前を挙げるのは、この時代の恐怖感が、潜在的にあるのだろう。
朝鮮は宗主国の明に支援を要請、明軍が参戦すると日本軍は漢城(ソウル)まで押し戻された。戦線が膠着すると、休戦のための和平交渉が始まった。
ここで、現代にも共通する交渉が起きている。それは、日明の交渉担当者はそれぞれの王に偽りの報告をした。秀吉には「明が降伏した」、明朝廷には「日本が降伏した」と報告した。明は日本の降伏を受け入れ、秀吉を日本国王と認める使節を派遣した。1596年、秀吉は明の使節と会い、そのでたらめな内容に激怒した。翌年、日本軍は再び侵攻してきた(慶長の役)。北上する日本軍を漢城付近で明軍が迎え撃ち、泥沼の戦いが続いた。1599年に秀吉が死去すると、日本軍は撤退した。この戦乱で朝鮮は崩壊寸前まで追いやられ、明も国力をすり減らし滅亡の遠因になった。1609年、朝鮮は日本と和約し外交関係の修復にも力を入れた(朝鮮通信使)
日清戦争後の下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、1897年に大韓帝国(通称・韓国)として独立した。これ以後日本の強い影響下に置かれた。そして、1910年、日韓併合条約によって日本に併合された。 』

このYahoo!の歴史資料を参考に、韓国の歴史を分かりやすく私語を交えながら書いてみたが、韓国の八方美人的な発想は、「人は信用してはならない」という根本が、韓国人の心の底にあるようだ。
1950年の朝鮮動乱も、あっという間に中国との結託で北朝鮮が襲ってき、アメリカ軍がそれを阻止した。38度線の平和協定は未だに結ばれてはいない。韓国の大統領・文在寅は、北朝鮮からの避難民の息子として生まれているために、先祖の意識が北朝鮮に向いている。意識を覆さないという浮かばれていない先祖からの頑なな態度。その「負けたくはない」「2枚舌を使え」という協調性のなさは、やがて、歴史に見るように、周囲から廊下として扱われ、属国の典型を余儀なくされるのかもしれない。とはいえ、何も知らない隣国を憎むより、長所短所を知った上での判断が、先祖の意識を含めての必要な処置を講じれるのかも知れない。