逃避

『 いつも、ご先祖さまの供養を受け付けていただいて、本当にありがとうございます。
私の体験談が取り上げられていまして星椎先生のコメント、ありがとうございました。
私も先祖供養を始める前は、滝に打たれたりする事が修行だと思っていました。
10年以上前の話ですが・・・。
でも、そうではなく今目の前のことを一つ一つやって行く事が自分に与えられている事だと思いました。
滝に打たれる事は、現実逃避なんだと思いました。
早く気付いて良かったです。 』

星椎水精先生のコメント

逃避というのは、様々な形があり、滝に打たれるのも逃避の一つと考えても良いだろう。釈迦も断食などを行ったが、スジャータからの乳がゆをもらって生きがえり菩提樹の下で悟りを開いた。その時、ヨギたちの修行は、意味のないものと判断した。
現実逃避の最悪が自殺で、感傷旅行、仏門入門など細かく言えばきりがない。地球の神は、現実ではどのような行動をとるのかを試している。そのものが修行で、それ以外は逃避ということになり、再びそこから考え行動しなければならない。
逃避をすれば、時間だけが経過し、与えられたエネルギーと時間の無駄が生じ、再び同じテーマがやって来る。それをカルマと呼ぶのだが、夏休みの宿題と同じように期限があり、ぎりぎりで頑張るものもいれば、落第する者もいる。
今世で落第すると、来世は同じテーマとは行かず、劣悪な環境か動物に生まれ変わる。一旦、動物に生まれ変わったら、再び人間に生まれ変わるのは、至難の業である。
もう一つ、この修行を楽に行うためには、先祖の浄霊(先祖供養)が基本となる。自分の体を動きやすくして初めて現実の修行に取り組むと周囲の風景が変わり始めるのが分かるだろう。

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