終戦

94歳になる男性は、私に話があると言って、自分の過去を話し始めた。

それは、終戦の5年前のことだった。南のラバウル島での出来事である。当時のラバウル島は、8万人が最後の戦いに明け暮れていた。西に4万人、東に4万人の防備だった。西では戦場なのに正月気分で、日本兵はお酒を飲んでささやかな宴を行っていた。だが、日本人が必ず正月にお酒を飲む習慣を米兵は知っていた。正月気分を取り囲むように、米兵は10万人で4万の日本兵を囲み、夜間の集中攻撃を行った。そして、西は全滅した。

彼はそのことを知らせるために、伝令として東へ向かった。密林のラバウルでは、トラックで3日かかった。2人を荷台に乗せ、彼は必死で運転した。食べるものが無かったので、蛇やカエルを食べて3日目に辿り着いた。

荷台に乗っていたものは、座ったまま死んでいた。体力が無かったためにマラリヤに罹っていたそうだ。

その到着した日に、米兵が4隻の艦船から集中砲火を浴びせてきた。ところが、日本の将校が、反撃を一切せず、上陸した時に襲う計画をした。米兵は、それを怖がって上陸しようとはしなかった。そのまま、東の4万人は無事に終戦を迎えることになった。

そんな話を、長々とすると、安心してにこっと笑い、席を立ってしまった。

私の頭の中は、ラバウルの映像が、海の波と同じように繰り返し繰り返し見え続けていた。犠牲になった戦没者たちは、ラバウルで、今も尚、霊となって彷徨い続けている。日本に帰りたい、という一念だけを残して。

 

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