節目

『 先日は4名のご先祖様をご供養していただきありがとうございました。夏を思わせるような陽気の日でご先祖様もさぞかしお喜びなのだろうと思いました。

先日の先生のコラムを拝読し、やっぱりそうか・・と唸るものがありました。

私も過去世でこの人にひどいことをしたんだろうなぁとは思っていましたが、いやはや私は過去世でこの人に負けずにひどい意地悪な人だったんだろうかと思うと、気が滅入ります。

教授は学校の管理側から呼び出しを受けて、(私の課題への偏見に満ちたコメントは)行き過ぎたと思ったのでしょう、管理側に会う前に私に謝りと弁解のイーメールを送ってきています。

私は先生のコラムを読んでから、「その節、過去世ではひどいことをしたんですね、ごめんなさい、済みませんでした」、と心の中で言いました。今日は彼女のクラスの時も心の中で謝りました。非常に苦しかったですが、過去で起したことを清算するということを学びました。因果応報ですね。「ここであったが100年目」だったのでしょう。

彼女もこれですっきりして、もうそういうことはやめるといいなと思います。今日は前日管理側と会って話をしたはずですので、ちょっといつもと違う雰囲気だったように感じました。また、私が心の中で謝ったのも通じたのでしょうか、そうだといいのですが。あともう少しで今期を終えます。悔いの残らぬようにがんばります。 』

 

人間は季節の変わり目で節目を迎える。カルマにも1つの節目がある。それは、気づくという大きな実証である。このことを理解してゆくと、無理のない未来が見えてくる。そこに至るまでの苦悩を伴うことが条件でもある。

 

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