死を遠ざける社会

『 変わる葬送観 衰退する寺・・・そして、直葬増加。
 葬式をせずに火葬だけですませる「直葬」が増加するなど、日本人の葬送が様変わりしている。その背景や影響について、2人の職者に聞いた。
 僧籍を持つ日経BP社の編集者・鵜飼秀徳氏は【無葬社会】(同社)を昨秋に刊行。首都圏では3割以上という直葬の現場や、増加する孤独死、流行する散骨の実態、巨大納骨堂の建設ラッシュなどを取材した。見えてきたのは、社会が死を遠ざけ、死後に執着しなくなっている人が増えている現状だ。「社会が死を想像できなくなっている。いくら死を遠ざけても、東京に住んでいれば、そこには(空襲や災害などで)多くの人が亡くなった過去があるし、隣人の誰かが孤独死するかも分からないのに」(中略)また、自らの遺体は、生者に託して埋葬などしてもらうしかないのに、その感覚が喪失している人が多いとも感じる。例えば散骨なら、遺骨をパウダー状に砕くのは遺族が行うのが基本だとし、「自分は葬式なんかいらない」とか「俺は散骨でいい」などと胸を張って話しているのはおかしい、と論じる。(中略)葬送の簡素化に加え、人口減少に伴う檀家の減少や宗教心の変化により、特に地方で、寺院が立ち行かなくなっている。そんな実態を近刊【お寺さんの崩壊】(新潮社)で記したのが、福岡県内の寺で住職を務める水月昭道氏だ。
 「寺の厳しさを他人に全く信じてもらえなかった」ため、本書では寺の事業継続の分岐点が檀家数300軒ほどなのに、多くの寺が達していないこと、自らの寺の手取り収入が年間100万円台であることなど、厳しい実情を赤裸々に明かした。 (読売新聞より)』

星椎水精先生のコメント

はっきり言ってお寺の役目は、衰退しつつある。昔のような檀家制度など、現代人には通用しない。現代のように実家から離れた子供たちには、お寺やお墓は殆ど縁がない。若者は、お寺とは繋がりがなく、実家には帰らない人が多い。そんな中、見捨てられた山中にあるお墓は、いったい誰のものなのかは、分からないまま放置されるケースも多い。
山中での事故や事件は、そのような墓にいた先祖の霊が憑依して起こる場合も多いようだ。
お墓に縁のないものが、このような事故に遭遇することも多々あるので、用心が必要だろう。
海や山での散骨を望むものも多いが、例えば海で散骨した場合は、浮遊霊となって海に漂うことになる。決して成仏することがないことを重々念頭に置いた方が良いだろう。死を簡単に片づけようとするものは、後々自分が死に直面した時、決して成仏することはない。

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