歴史

『 このたびは郷土で行われた源平藤戸の合戦での源氏方武将佐々木盛綱様と、盛綱様に殺害された若者の漁師様、漁師様のご両親の浄霊も併せてお願いできないでしょうか。

いつも父方と母方ご先祖様の浄霊を交互にお願いするのですが、お盆という大切な時期なので、一緒にお願いすることを思い立ちました。

私がお願いする理由は、数ヶ月前、一人の鎧武者が土下座して詫び続けている様子が脳裏をよぎり、何か急を要することではないかと思いました。

そして近江国で栄えた佐々木氏一族の佐々木盛綱様の縁続きの方が、私父方の祖に当たるかもしれないからです。

藤戸海峡を挟んで源氏方と、当時は大きな島だった備前国児島側に平家方が陣を構えて対峙していました。源氏方は対岸に渡る舟を持っていませんでした。

現在の倉敷市の平野と山々は、合戦当時は全て海と島々でした。

そこで、佐々木盛綱様が漁師様から対岸に渡れる浅瀬の存在を教えて貰いました。

ところが、佐々木様はこのことが他の武将に漏れて手柄を横取りされることを恐れて、漁師様に褒美を取らせておきながら、口封じのために殺害してしまいました。

よかれと思いしたことに対して、文字通り恩を仇で返された悲劇でした。

裏切られたことへの無念と怒り、自分の目の前で刀が抜かれたときの恐怖と絶望感は、とても書き表せません。

そして盛綱様は騎乗したまま対岸に渡海し、他の武将も騎乗して続々と渡海して、平家方を打ち破りました。

平家方は屋島に逃れたのですが、激しい追討戦が行われたことは想像に難くありません。退路上にあった集落や寺社は軒並み焼き討ちに遭い、大勢の人々が巻き添えで犠牲となり、海は血に染まったと思われます。

合戦の功績で児島に所領を与えられ、領地に赴いた佐々木盛綱様に漁師様の母親が恨みを激しく訴えました。

漁師様の母親が「佐々木憎ければ笹まで憎い」と山に生えていた笹を全て引き抜いたため、この山には笹が生えず「笹無し山」と呼ばれるようになりました。

笹無し山は現存していますが、現在は笹が生えています。

晩年の盛綱様は、漁師様とご両親始め、合戦で犠牲となった源平双方の将兵や合戦の巻き添えになった大勢の人々が毎夜しばしば夢枕に立ち、悪夢にうなされ、病を得て亡くなられたことでしょう。

盛綱様は死後約800年近くの間、幽界で土下座をして謝罪し続けていたのではないかと思います。

そして、漁師様とご両親も大勢の犠牲者と共に成仏できていないと思います。

恩を仇で返された漁師様の恐怖と無念、母親の悲しみ・怒り・恨みは、この悲劇を謡曲などを通じて現在まで語り継がせる意識となったと共に、根強い負の波動となって現在もなお郷土に暗い影を落とし続けているはずです。

これまでに不幸な事故や刑事事件が幾度も起きていたかもしれません。

たとえ警察沙汰にならずとも、家庭不和や一家離散の要因となったかもしれません。

事実、古城池トンネルのように、藤戸の合戦に関係すると思われる心霊スポットと呼ばれている場所もいくつか存在しています。

また、盛綱様と漁師様との間には前世からのカルマがあったではないかと、私は考えるようになりました。

恐らく前世では正反対の立場だったはずで、過去何世かにわたって連鎖を繰り返してきたのかもしれません。その度に周囲の人々を巻き込んでいたはずです。

このままでは将来分割魂で転生を許されたとき、周りの人々を巻き込んで再び決着を付けることを恐れています。

星椎先生の浄霊によりまして、郷土に残る負の波動が浄化され、カルマの連鎖に終止符が打てないでしょうか。

前日からメールを入力しているときに左半身に不思議な気配を感じています。

皆様方が千載一遇の機会として待ち望んでいるように感じられます。

今まで待たせてしまったことを申し訳なく思います。

私は遠縁でも佐々木氏の血筋を引くかもしれない一人として、もしも直接血筋を引いていなくとも、同郷の近江国に祖を持つ一人として、そして何より漁師様とご両親様へのせめてもの償いとして、お盆に合わせて盛綱様と漁師様、漁師様のご両親様を助けてあげたいです。どうか浄霊を引き受けて頂けないでしょうか。 』

 

自分の先祖を調べ、浄霊を申し込んで行く内に、家系の先祖が歴史に大きく加担していたのが理解できるだろう。

今回の源氏方の武将は、死ぬまで若い漁師のことを頭から切り離すことが出来ず、その漁師も無念で武将に強い憑依を行っていたようだ。そして、自分(武将)の浄霊の願いと漁師を救う一心で「一人の鎧武者(盛綱)が土下座して詫び続けている」のが見えたのだろう。

彼らを浄霊すれば、心霊スポットも少しは和らいでくるはず。しかし、本当は、源平藤戸の合戦での全ての武将や兵士たちを浄霊しなければ、心霊スポットも完全には消えることはない。

 

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