憑依

『 遅くなりましたが、ご供養のお手紙ありがとうございました。

しっかり今後も気持ちを引き締めて取り組んでいきます。

昨日、久しぶりにオープン当初からのお客様が来られたのですが…。

以前も少し話したことがありますが、母親の介護に、姉妹の嫁ぎ先の旦那さんのガンの治療費で家を売らないといけなくなった方です。

ずっと音沙汰がなかったので心配していたのですが、一年ぶりでした。すっかり顔つきに生気がなく、直感的にぞっとしました。

その後、事故で足の前面の靭帯を切ったそうで、「もう足を引きずらないと歩けなくなって、元には戻らないという事実が受け入れられなくて、毎日泣いて過ごし、誰にも会いたくなかった」といっていました。

「何か私はしたんだろうか、次々に不幸に見まわれて、天罰だろうか」といっていました。

生きていくのが辛いという話をしていたので、自殺がどんなに罪が重いか話し、色々話をし、帰る頃には憑き物が落ちた顔になっていましたが、その方が帰ったあとから急に胃が重く気分が悪くなってしまいました。

一時間程でなおりましたが、それほど強い先祖霊がついていたかなと思いました。

そして、ご供養してない方の行く末を見させていただきました。  』

 

「何か私はしたんだろうか・・・」というより、先祖に何もしていないというのが答えであるのは、こちらで供養をしている人なら誰でも分かる答えである。

人は、目に見えるもの以外に信じる心があるかどうかを試されている。殆どの人は、自分が全てで、自分以外のものを否定したがる要素を備えている。要するに、目に見えないものを信じてはいない。特に霊については、意識さえしていない。そうは言っても、幽霊を怖がるというような矛盾はある。

そこには、世の中を騒がす偽物が多く存在するからだろう。オウム真理教や法の華などがそうである。「本物の浄霊」といっても「騙されない方がいいわよ」という世間の眼差しの方が遥かに多い。

それでも、こちらで続けている人は、本物かどうかを見分ける判断力がついてきた。私が洗脳しているからだ、と世間は思うかもしれないが、洗脳する時間や場所を設けてはいないのに、どうやって洗脳するのだろうか。唯一、本を読み納得した上で、申し込むようになっている。浄霊時は、こちらの教会へ来ることもなく、自宅の仏間でお祈りをしたり、会社や車の中でのお祈りになる。その時に、ほぼ同時刻に映像が見えることは、どの宗教家にも出来るものではなく、本物以外には考えられない特殊なものである。

ここで続かない人の多くは、そのような映像が全く見えなかったり、後日感じたりしない人ばかりである。共通して言えるのは、打算的な人は、続くことはあり得ない、ということになる。それは、先祖のことをしっかり考えているかどうかである。

「何か私はしたんだろうか・・・」と考えるこの人は、この先も先祖に対して何も考えない人だと先祖は判断し、とてつもない憑依に及んだことになる。

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