感謝

『 私は生まれつき発達障害があり、幼いころから治療をして大分改善しましたが、からかいを受けやすい性格だったり、冗談が苦手で「まじめすぎる」と言われたりと、人間関係での苦労が続いています。情緒不安定なところがあり、今でもそれに悩んでいます。

 幼少期の頃からいじめを受けていましたが、ほかの人をいじめることもありました。

保育園の頃から小学校低学年までは、じっと座ったり集団で行動することができず、今でいうADHDだったのではないかと思います。両親や先生の苦労は大きく、叱られてばかりでした。このため特殊学級に通っていましたが、高学年になると原級での授業が増え、中学ではほぼ原級でした。

 中学の頃は、小学校の頃に比べると孤立気味でした。もちろん親しい人はいましたが少なかったです。

 高校の頃、大学の頃も、特に部活で散々な目に遭いました。

状況を見て判断して行動を起こすことが難しく、先生によく怒られ、それが原因で部員から嫌がらせは日常茶飯事で、苦痛でしたが、どうしても部活は最後まで続けたくて、やり通しました。「死のう」と思うと、すぐ見えない誰かが止めてくれたのはこのころです。

嫌な人を恨むと同時に、私が世に必要なのかと思っていました。当然殺意も沸いて、どうせ死ぬなら自殺するより事件を起こそうとまで思ったこともありました。

事件を起こす可能性がゼロではなかった思うと、恐ろしいことだと今は思います。

なぜ起こさなかったかと言えば、自分の人生を駄目にすることになるからという思いはもちろんありましたが、お世話になった人のことを考えるとできませんでした。

 このような苦しい時でも、助けてくれる人もたくさんいました。

 供養前から私の家庭や近い親戚では、火災、事件、離婚などが全くなく、いつも仲が良く、恵まれていると思います。

私はからかわれたり人間関係でとても苦労し、死のうと思ったこともありましたが、どこからか「死なないで」と必ず聞こえてきました。ご先祖様からかと思っていましたが、実は深い縁のある(浄霊してもらった)Mさんも守ってくれていたのではと今更気づきました。なにもともあれ、今生活ができていて感謝です。 』

 

最後に辿りついた「感謝」という言葉は、本物だろう。一言で「感謝」というが、苦労を重ねての言葉には、非常に重く、説得力がある。先祖には将来が見えていて、そのために先祖たちがパワーを結集して彼に注ぎ、今日の浄霊を迎えることが出来たのだという、お互いの「感謝」が実を結んだのである。

 

 

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