徴用工の問題

最近は、韓国と日本の間でこの問題が大きく取り上げられている。我々の知らない戦時中の不平等な時代の話である。韓国人は、非常に熱しやすく、ブレーキの利かない人種でもある。
私自身、近頃では、テレビは非常につまらないので、ケーブルテレビの映画を見るようになった。
その映画の中に、作家・田宮虎彦の原作「愛憎について」が「別れても生きる時も」という題で実話に近い映画となったのを見た。作品は1961年で、主演に高島忠夫と司葉子という美しい男女だった。2.26事件で初めて出会った男女の物語で、作品は非常に面白かったが、脇役に朝鮮人の経営者を演じた小林桂樹がいた。
日本が敗戦に近くなると、若者たちは皆戦争に駆り出され、残った朝鮮人は、燃料補給のため炭鉱夫として強制労働となった。これが徴用工である。彼の僅かな言葉に「朝鮮人だからしょうがないよ」という呟きが、私の心に刺さった。当時は、皆そういう時代で、あきらめと差別を感じ取っていたのだろう。日本人の意識とは別に、彼らの意識下に、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という文字が刻まれ、それが先祖代々受け継いだ意識の発散になっているのだ、と初めて気づいたのだ。
当時の日本兵は、軍国主義一辺倒の者もいれば、非常に穏やかな紳士も多かった。
この徴用工の問題は、彼らの心には、鞭で叩かれたくらいの傷跡を残しているのは確かである。今の日本人には、想像もつかないくらいの傷跡となって、先祖共々深い傷となって騒いでいるのだろう。それが、反日教育につながり国家間の問題となっている。
だからと言って、それを政治利用する韓国の代々の大統領の言動行動にもおかしいものがあるようだ。
この一連の騒ぎを収めるのは、浄霊しかないのだが、この民族には人に感謝するといった気風がないために、永久に出来ない可能性が高いのではないだろうか。