巌流島

下関の水族館にイルカの取材に行った帰りに、唐戸港で巌流島行きの観光船が出ていることに気付いた。2年ほど前にヘリコプターで空中から巌流島を見たことがあった。だから、機会があれば、島に一度足を踏み入れてみたかった。

幸い晴天に恵まれ、30分ほど待って、観光船に乗り、巌流島に着いた。島には何もなく、徒歩30分で一周できる小さな島だった。昔は人が数十人も住んでいたらしかったが、現在は無人島になっている。ご存知のように、巌流島は、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った場所でもあり、源平の合戦があった壇ノ浦のすぐそばでもある。

関門海峡は、潮の流れが速く、当時の小さな船である伝馬船がよくこの海峡を漕げたものだと感心する。その伝馬船が、戦いがあった場所の近くに朽ちた状態で展示してある。勿論、当時のものではないが、武蔵が辿り着いた面影を感じさせていた。

島の中央に歌碑があり、その近くに小次郎らしき人物が当時の姿で立っているのをおぼろげながら確認できた。武蔵の映画や小説では、小次郎の映像は見えてこなかったが、そこに立つと、どうも映画や小説とは少し違った小次郎の姿が浮かび上がる。

武蔵が遅れて現れた、とあるが、実際は同時刻だったようだ。その武蔵は大きな櫂で作った、とあるが、これも実際は用意して作っていた長い木刀だった。小次郎は、水平に切る剣を使ったが、そこを見抜いた武蔵に頭を叩かれ、そして脇腹を打たれて勝負を決められている。ただ、武蔵は、数人の暗殺者に気づき、小次郎の止めをせずに小舟で慌てて逃げて行ったようだ。その後、小次郎は止めを打たれ、その地で亡くなった。唯一、島に小次郎の墓がある。

小次郎の性格は、武蔵より数段優れていた感じがする。剣の道という点では、武蔵が上だが、波動は小次郎が優れていた、と私は見た。そのことを伝えたかったのだろう、私が巌流島に足を運ぶように小次郎は設定していたようだ。彼は非常におしゃれで紳士だった。紳士すぎて無法な武蔵の策略に負けた、というのが私の実感である。

一般的には、亡くなったものの近くは、「無念」だとか「悔しい」という波動が伝わってくるが、何故かそこには「清々しさ」だけが漂っていた。

しかし、武蔵が後日、この戦いを一切無言でいたのは、小次郎の暗殺計画が決闘と同時に着々と進められていたことを決闘後に察知したからでもあった。本人同士の純粋な戦いのはずが、実は藩内の揉め事が背後にあり、利用の矛先が両名の決闘にすり替えられていたのだった。

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