尊厳死について

『 私は今回の浄霊にお願いすることが叶いませんでしたが、今回もたくさんの御霊が先生によって救われるものと思います。暗いことが多い中、これこそが本当に喜ばしいことと思います。

先生のコラムにありましたように、私もこの尊厳死のことはこの人がそういうことを決めた経緯とかが大衆週刊誌や一般主要テレビが取り上げていたので知っていました。全容を読んだ訳ではありませんが、私は自殺と同じことと思って何を馬鹿なことを誠しなやかに言っているのだろうと思っていました。これはまず、ほとんどの人達が病気やそのほかのことで痛み苦しむのは生きているからであって、死ねば楽になる、この苦しみ、痛みから解放される、と信じて疑わないことによるものだと思います。
例えば、久しくあっていなかった人に会って、お互いの近況を話し、亡くなった愛犬や私の母のことに及ぶと、決まって言われることは、「でも、いいことは苦しみから解き放たれたことだ」です。何とも致し方ない気持ちになりますが、ここで説明してもしょうがないとしています。因果応報、魂、過去世、未来、それは全て魂のことだということが全く分かっていないのです。ちょっと私がそういうことに触れると、それは私が仏教の国に育ったからだという風に言われることが関の山です。
折りしも、この尊厳死をした人が住んでいる州は、州法で尊厳死、つまり自殺を認めている州です。それに最近この辺りはいわゆる自然災害に多く見舞われていますし、事件も多発しているところです。そういう悪い気は、地球の神様が一番嫌がるのではと思います。これから冬に向かい、自然災害ということで大雪などの被害が多くなるのでは、と思います。 』

やはり、自殺を選ぶ人たちの共通点は、苦しみからの解放である。キリストの教えに「亡くなれば天国に行ける」という安易な考えが蔓延しているようだ。日本では丹波哲郎が「霊界」について映画まで行っている。その映画では、自由な解放が永遠と続いていた。あれは、霊界ではなく幽界そのもので、天国も全く同じことである。
自殺を選んだ人は、その苦しみから解放されるどころか、その数百倍もの苦しみが待っていようとは思いもよらぬであろう。その苦しみのために、地上界との末裔の魂の隙間を掴み引きづり降ろそうとする。優しい或いは弱い魂は、すぐに引き降ろされ大病するか死亡する。自殺した人が出ても何も感じないという人がいるが、魂的には強いか無神論者の極みであろう。
この自殺とほぼ同じ尊厳死は、いずれ大きなしっぺ返しがやってくる。

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