宗教団体の発想

お金を宗教団体に寄付すれば、観音菩薩に成れるとか生まれ変わりが良いとか言うのは、その宗教団体のご都合で、決してあり得ないことだと知る必要がある。
これは、幼稚な宗教団体が決めることではなく、地球の神からの要請に基づくもので、非常に神聖なものである。
こちらにも、それに成れそうな人がいるが、その人を評するなら、まず無欲。そして、非常に苦労をしていて、人間が出来ているし穏やか。ただ信念があるので、何事にもめげない意志がある。顔の相が、どことなく菩薩風な顔になりつつある。
「無欲が人を変えてゆく」と思うのだが、悪い宗教団体は悪いものが集まりやすくなる。ある宗教団体は、すでに死んでいる教祖を隠し続けている。まるで、戦国時代の武田信玄のようである。そこまでしなければ、団体が保てないというのも貧相な発想といえる。
日本の宗教団体は、2代目から狂い始める。お金に困らず苦労もしていないものが団体を統治すれば、必ず歪が生ずる。それは、宗教というより、宗教という名に乗っかった会社組織に近いものがある。だから、そういう組織は、中に入ると、異質な臭いがする。
顔や感覚が、教祖と同じ波動を知らず知らずの間に築かれてゆく。これは怖いことである。日本の新興宗教は、「オレオレ詐欺」が形を変えた発想を持っていると考えた方が良さそうだ。

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