奄美大島 1日目後半

正午近くになって、古仁屋のホテルにたどり着いた。しかし、カーナビが「到着しました」という音声を出さずに、「そこを右に回ってください」「左に回ってください」と繰り返したので、現地の人に尋ねると、そのホテルの周囲をぐるぐると回っていたのが分かった。
受付を終えて、部屋に入ると、朝の4時に起きて出発していたので、クタクタですぐにベッドで眠ってしまった。起きると、16時近かった。そして、近くのコンビニで口に入れるものを買おうとホテルを出ようとしたが、小雨が降っていた。受付の男性は、「先ほどから物凄い雨が降ってましたよ」と言った。
「何をしに私はここを訪れることになったのか」と自問していた。コンビニから帰ると、ホテル内に「奄美戦史資料館」があった。宿泊客だけが無料となっていたので、見せてもらうことになった。狭い資料館には、ほぼ戦艦の模型で占領されていた。ただ、戦艦大和の記述が克明にあった。それによると、1945年4月7日14時20分に海中に沈んでいる。約2時間で巨大な戦艦が沈んだことになる。沈んだ場所は、屋久島の西の海上、奄美の北に位置する。
奄美戦艦大和 それをきっかけに日本は敗戦し、沖縄奄美は、アメリカの領土となった。そして、1953年8月8日にアメリカから返還され、12月24日に奄美群島返還式がダレス国務長官によって返還声明が出されたのである。このことは、日本中の殆どの人が知らない。小笠原もそうだったが、現代の日本人は、戦争のことを知らな過ぎるし、マスコミも大切なことを教えようとはしていない。
この奄美大島へお盆に来た意味は、戦艦大和の戦没者、さらにこの南にある加計呂麻島(かけろまじま)に今でも残っている塹壕(ざんごう)の数々から訴え続ける戦没者の悔し涙が、凄まじい雨となって現れているのだろうとつくづく感じた。