墓参

『 母親の命日を前にして、父親と墓参に出掛けてきました。 墓地では、母親のお墓と、母方実家と本家のお墓、母方祖母の長妹夫婦のお墓が光に包まれて守られているように感じました。 父親と私も空の高いところから見守られているように感じました。 私は母親の墓前で母方実家の龍神様のご供養を伝えました。 先生のコラムで人間はどうあるべきか考えさせられました。うまく書き表せませんが、人間だけの力で生きているのでは無く、見えない力、つまり神々や身近なご先祖様によって生かされていることを再認識し感謝しなければならないと思いました。 姫路様がブログで述べられたように、目に見えない神々やご先祖様方々への感謝や畏敬の気持ちが現在では失われていると思います。 私に子供の頃の記憶を思い出させて下さった宇宙クラブの皆様方とご先祖様のためにも私が責任を持って取り組みたいです。 星椎水精先生の大変なお力で母方実家の龍神様が救われることが何事にも代え難く本当に有難いです。 』   こちらで供養している家とそうでない家の差は、お墓に行けば良く分かる。勿論、霊感があるかないかでも理解が違うことは明らかだが、霊感がなくても、隣の墓とは「何となく違うな」と思うだろう。この何となく、という感じは、実は相当の差がある。 今回、不祥事を起こした司会者の家でもわかるように、どんなにお金を儲けようと、最後は自分の身に降りかかってくるのである。特に芸能人は、霊能者を抱えたり、宗教に入信しているようだが、先祖の浄化という基礎的なことが出来ていないので、「砂上の楼閣」となってしまう。 こちらで供養している人との差は、穏やかな気持ちで墓参が出来ることでもある。