咄嗟の判断

『 先日は、二人のご供養をしていただきまして、本当にありがとうございました。

その前の週でしたが、会社の帰りに、駅に抜けようと思ったら、踏切が通行止めになっていて、通る事が出来ずに曲がったら、知らない道で少し動揺してしまいました…。

やっと大通りに出られそうな道に差し掛かり、私は安心していました。

そしたら、後ろから何か聞こえて来て、びっくりしてブレーキを踏みました。

車が走って来るのが見えず、衝突する所でした。

車には、私しか乗っていなかったので、見えない誰かが助けてくれたのだとわかりました。

本当にありがたかったです。 』

 

直感のような人間にとって大切な感じ方が人生において重要だと皆は知っている。

私も十代後半で九州の阿蘇にある久住山に、冬登ったことがある。裾野にあるホテルを出発する頃には、朝、晴れていた。計画は、久住山を縦走することだった。3人で登ったが、冬山を経験していたのは、早稲田のワンゲル部の1人だけだった。7合目付近から雪がちらつき始め、山頂近くになって、いきなり大雪と霧に囲まれてしまった。

見えるのは、2人の凍った顔だけだった。私の脳裏に「久住山頂で3人が遭難」という新聞記事が見えた。そして、ヘリコプターの音が耳に入ってきた。私は天に向かって「やるべき仕事が残っている!」と天に向かって叫んだ。すると、帰るべき道が、3人の頭に浮かんだ。(上からの指示だろう)。一気に空は晴れて道が見え、縦走とは別の帰り道を下り、ホテルに帰ることが出来たのだ。この咄嗟の判断がなければ、当時は雪の中に3人が埋まっていたのだろう。

メールの本人は、先祖が助けたもので、私の場合は、当時は分からなかったが、背後の特殊な力と地球の神からの救いが行われていたようだ。

 

 

 

 

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