供養はマラソン

供養はマラソン

 本当の供養は、マラソンと同じである。長い道のりとして考えた方が、一般の人には行ない易いだろう。3000体以上もある先祖の霊をないがしろにしてきたために、少しずつの積み重ねが肥大してきた、と解釈した方が良い。輪廻転生は、前世でやれなかった宿題が、次の転生で成し遂げようとする。しかし、転生は重い魂を残したまま行うと、次に行く前に残痕として名前のある霊が残る、これが先祖霊である。中には重すぎて転生できない霊も多く、特に戦国武将、餓死者、殺人、処刑者、流罪、祈祷者、自殺者などは転生できるどころか、地獄界、餓鬼界で永久に出られない場所に封じ込まれている。
 このようなものたちを放置したことによって、現在の家庭崩壊や学校崩壊の原因がなされてくる。それでも、仏壇がある家やそれなりに供養という形をとっている家は、先祖もいつか供養をしてくれる、という期待感がある。そういった家には、霊感のあるものを先祖は派遣する。それは、先祖との約束の下に生まれたものである。その子は、病気やノイローゼを頻繁に起こす。そして、時折先祖の言葉を耳にする。そのときに家族は、どう反応するかを見守る。しかし、まったく霊のことなどを無視されると、霊は暴れる。一番に登場するのは、武者の霊である。武者は刀を振りかざす習性があるので、子供や霊感の強いものは、そばにあるナイフや包丁を振りかざす。止めるものがいなければ、事件を起こす。大半は、そこで止められるようになる。とめられない家庭は、いよいよ最後である。先祖供養を行おうとしても、家族の中に反対者が出る。これは、先祖の中に家を良くしたくないものが必ず1人はいるのである。
 そう簡単に、家を繁栄させたくないのだろう。ここで供養する大半が、その反対者に合い、供養が出来ないケースが多い。これにもめげないで供養するものは、やはり本物である。そこには先祖に対する深い愛情が必要だから、簡単には供養が出来ないのである。偽者と本物の見分けがつかないものは、やはり供養が出来ない。そうして次第に供養というものが、どういうものなのかの輪郭が現れてくる。自殺者やガンで亡くなったものを供養した途端、霊障がいきなりとれて、それで終わるケースも多い。それは、病気で言うと症状がとれただけで、原因が解明されていない。さらに奥へ進み、父方母方と浄霊を行うが、養子でない限り、父方が7割、母方が3割と霊障が異なり、父方からの浄霊を行ってゆく。どんなに分かっても江戸時代くらいまでで、その先は不明になる。
 一段落すると、水子・餓鬼界・地獄界の供養となる。次に母方に移り、同様な方法で供養をする。しかし、ここまでの供養をする人は少ない。長い年月を費やして行う人もいる。周囲が金銭的な面や宗教的な面をうるさく言うために、途中で放棄する人もいれば、自分の一生の仕事と思う人もいる。出家して自分で供養するよりも、はるかに効率が良く、確実な浄霊を、まず理解することが大切であろう。いろんな反対などの障害を乗り越えて行う供養は、本当の価値があり、まさにマラソンと同じくらい厳しく大変なのである。
 ただ、この本当の供養を成し遂げた時、初めて先祖からの守護霊が出る。その時は、いろんな出来事に遭遇しても、間違った道が出てこないし、先祖からの正しい導きが出る。事故が少なくなったり、病気が軽く、生活に困らなくなり、痴呆症などは出なくなる。普段の生活が、楽に過ごせうきうきし始める。それは、マラソンの勝利者だけに与えられた特権になる。

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