供養の喜び

『 本日は、K家及びその他大勢のご先祖様のご供養を執り行っていただき、誠に有難うございました。

供養が始まる少し前より、仏壇の前で準備し、父母より聞いた話をお一人ずつの一生を考えながら、お名前を読み上げさせていただきました。

時間になってから、涙が溢れて止まらず、皆さんが喜んでいるのだと感じ、私も嬉しかったです。最近、家のポストの下の小さな花壇にたくさんの蝶が来るようになりました。

ご先祖様かな・・・と微笑みながら話しかけています。

少しずつご供養されるご先祖様が増えていくことがとても嬉しく、私の目標であり、生きがいになりつつあります。本日は、有難うございました。また、宜しくお願い致します。 』

 

人には様々な目標がある。しかし、先祖の供養を目標にする人は非常に少ない。こちらでの供養が、目に見えて効果を成しているからこそ、その目標が出来るのだろう。

現在、名を成しているものの顔には、常に不安が付きまとっている。病気や金銭にまつわる不安である。彼らは、決して供養を目標にしているとは言わないし、言えない。だから、晩年の彼らの顔には、最高潮の面影は寸分もない。哀れである。

それに引き替え、先祖供養を目標にしている人には、名誉や金銭的な欲は何も感じない。唯、先祖からの喜びだけを味わうことが出来る。本当に素晴らしい考えである。

このページの先頭へ