五島の旅③ 2日目 前半 

朝9時にホテルを出発したバスは、港へ向かい、バスガイドが30名の客を連れて来た。そして、ツアー会社の社員が、私に「ツアー代金10円を貰い過ぎたので、お返しします」と言って、「星椎様に返す、10円」と書かれた小さな紙袋をわざわざ私に差し出してくれた。今時、このような人がいるもんだなと感心してしまった。
港を出発した後、港近くの綺麗な城を横目で見ながら「この城は日本で一番新しい城です」と言い、その理由を話し始めた。江戸時代の末期になって、城が改修をすることになり、その費用が現代に直すと数億かかったという。しかし、すぐに明治維新となって、城を壊さなければならなくなった。主なものを残したのが、今の城で、現在は高校となった、という。時代遅れののんびりとした城に見えて仕方がない。
やがて、山手から海岸沿いを車が走っている間、ガイドが「この島では紅葉がありません」と言った。ガイドは、北九州の南にある行橋(ゆくはし)の出身だった。35年ガイドをして、この福江島に馴染んで行ったそうだ。
そうしている内に海岸の西にある井持浦教会に着いた。日本で一番古い木造の教会だった。そこは、ルルドで有名な場所でもあった。フランスのルルドと同じらしく、マリア像がそばにあり、その脇に湧いている清水を飲むと、すべての病気が治るといった伝説がある。確かに、飲んだ感触は、何か新鮮なものが行き渡った、というものだが、病気を治すほどの湧き水ではなかった。
嵯峨野島 バスは、海岸線を戻って、五島の美しい海岸で有名な高浜ビーチにやって来た。それは写真に出てくる遠浅の美しい海岸に違いはなかったが、私が一段高い浜で海を眺めていると、ガイドが私に近寄って波のような静かな口調で囁いた。
「あそこに見えるでしょう。横長い島。あれ何だと思います?」
そう言いながら、高浜ビーチから数百m離れた島を指差していた。
「あれは、嵯峨野島と言って流罪の島なんです。昔、京都の公家さんが、流罪にあって、あの島に流されたんですよ。そして、その島の名前を自分で付けたんですって。」
その公家さんの強い思いが、その島を暗くしているように見えた。すぐにでも渡れそうなくらい遠浅だが、島と島の間の流れは凄まじく、手前の高浜ビーチでは、逆流現象で亡くなった人もいるらしい。その公家の亡くなってからの強い念が、そのような現象と同調し、足を引っ張っているのが伺えた。
その美しい海岸を後に、やがて、福江港に戻った。