一体感

『 この度は、私のご先祖Hさんをご浄霊していただき、誠にありがとうございました。

今回も仕事で、瞑想できませんでしたが、仕事が終わった後、何時もより元気でした!

さらに、次の日衣料品を買いに行ったら、気に入ったものが安く購入出来たりしました。

ご先祖様のお礼なんだな…と嬉しくなりました。

一旦、このメールを保存して、先程お手紙を拝見したところ、Hさんからのメッセージが「元気でいてください」と入ってあったことに驚きました。と同時に、温かいものが込み上げてきました。私が先に書いたように、仕事が終わった後も元気に感じられたのは、Hさんの思いからなんだとわかりました。ご先祖様とのこういった心の交流ができるようになってきて、改めて、一体感というか、身近な存在というか、ご先祖様たちとの距離が縮まった気がしました。

このようなことに気付けたのは、皆様のおかげです!

そしていつも引き受けてくださって、本当にありがとうございます。

これからも、ご先祖様の気持ちになって、供養を続けたいと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。 』

 

供養で大切なのは、この「一体感」である。自分のためとか、息子のためといった供養のあり方が、先祖と成り代わって理解すれば、本当に有難いとは思わないだろう。自分はこんな生活をしているけれど、出来るだけ供養をしてあげます、という思いが先祖に伝わった時に、どれほど先祖は喜ぶのか計り知れない。

以前、自分が亡くなったら浄霊をお願いします、という人がいたが、それ以後、先祖の供養を全くしなくなったので、こちらからお断りをしたことがある。それでは、先祖供養の意味をなさない。お金を出せば、供養ができると勘違いをしているものには、浄霊は全く意味のない行為で、仮に浄霊をしても、転生が非常に悪くなってしまう。俗に「地獄の沙汰も金次第」という発想は、ここでは通用しない。

断った瞬間に、Super浄霊をしようと考えていた、という人もいたが、先祖は「そのような見栄を張るな」という言葉が伝わってきた。本心にそのような気持ちがあったのなら、先祖は、強い憑依で末裔を襲ったりはしない。

常に先祖との一体感が存在してこそ、ここでの浄霊が意味のある、価値のあるものとなってゆき、大きな意味での宇宙観が芽生えてくる。今、申し込んでいる人だけでも、最後まで、供養を続けることを祈りながら・・・。

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