コラムの感想

『 星椎先生様、宇宙クラブスタッフ皆様へ

いつもコラム楽しみに読ませて頂いてます。早速ですが、今日のコラム「不満」を読んで、私が最近自分を見つめ直していた事に似た内容だったのでビックリしました。

常に御先祖様の為と思いながらご供養をしていますが、普段の生活態度では家族や周りに対して思いやりにかけているんじゃないか?と自問自答していました。

ご供養さえしていればいいというものでもないし、バランスを考えると、ご供養と同時進行で行動に変えていかないと、感謝の思いは伝わらないし、嫌な思いや問題も起きたりするんじゃないかと考えていました。

つい先日も、嫁ぎ先から少し嫌み混じり的な事を言われたりして、心配しての事なんだろうけど、最初はムッときて「何でそんな言われ方しないと駄目なの」と主人を責めるような言い方もしてしまいました。が、これも私のマイナスな部分だと反省し、「現実ももう少し思いやりを持った言葉かけや行動を起こしていこう!じゃないとご供養をしている意味がない。」と思っていた次第です。

御先祖様がじっと待って下さっているのと同じで、義理の母も私に対して我慢してくれているんだと感じました。現実的な部分と、霊的な部分のバランスが悪いと不満や問題が出てくるんだなぁと1つ成長した気が致します。  』

 

学校で勉強することが、本人の成長ということではない。全てのことは、「気づく」という一点に絞られ、ここが大きな魂の成長となってゆく。

供養していても、「供養さえしていればいい」などと考える人より、その人を思って供養をしてあげると、浄霊後には、本人の生き方や考え方に少しずつ変化が出てくる。

それは、導くという力が、浄霊後の先祖霊に付くからで、本物の意識改革につながってゆくのである。しかし、最初からそのような期待をして供養を行っても、浄霊後の先祖霊からは何も見返りがない。見返りがないと、供養が続かなくなる。続かなくなると、浄霊されていない先祖霊たちが暴れ始める。そんな悪循環となってゆく。

本物の供養をしてきたのか否かは、継続の有無と顔の表情の変化となって表れる。継続して初めて、この「気づく」という意識が生まれ幸福感が芽生え始める。残念ながら、そのような人は、ほんのひと握りである。浄霊の奥の深さを理解するには、プライドを捨てた本物の生き方が要求される。

このページの先頭へ